東京地方裁判所 昭和41年(合わ)82号 判決 1966年9月12日
被告人 甲
主文
1 被告人を懲役三年以上六年以下に処する。
2 未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。
3 押収してある折りたたみ式ナイフ一丁(昭和四一年押六四〇号の1)を没収する。
理由
(認定事実)
被告人は、昭和三九年上京して以来、東京都内のトルコ風呂でいわゆるトルコ嬢として働いていたものであるが、昭和四〇年三月ごろから宮本こと李義根(昭和二一年二月生)と同棲するようになつた。李にはそのころまで同棲していたバー・ホステス町田良子(昭和一七年一月生)という情人があつたが、李も良子も別れるというので、被告人はその言を信じて同棲生活に入つたものであるところ、李が依然として被告人に隠れて良子との関係を続け、しかも被告人から徒食中の李に渡していた金の相当部分を良子に与えていることに気付くにいたり、良子に対する強い反感、嫉妬心を懐くようになつた。そして、被告人は、昭和四一年一月二二日ごろ、知人から、良子がバーから喫茶店に勤め替えをすることや、同人が李に隠れて他の男とも関係を結んでいるというような話を聞き、良子が李をも欺きながら、同人を通じて自分から苦しい仕事でかせいだ金を吸い上げているのみならず、仕事が楽で李と会うためにも便利な喫茶店にかわる気になつたものと思い、良子に対する憤まんの情がますます強くなつたた。そこで、被告人は、良子に直接勤め替えの意図を問いただすべく、同月二五日午前三時ごろ東京都豊島区巣鴨四丁目八番地こまどり荘一一号室の同女方にゆき、同所で同女と面談中、同日午前三時三〇分ごろ、同女が、「義坊(李のこと)はパスポートを持つているし、先のことを考えると一緒にならなくてよかつたわ」などといつて、李を侮蔑し、いかにも現在李とは関係がないかのように装つた言い方をしたことから、同女に対する憤激の情が一時に爆発し、とつさに殺意をいだいて、やにわに所携の刃渡り約六センチメートルのナイフ(主文3の物件)をもつて同女の頸部を突き刺し、さらに同女の頸部、胸腹部などを二〇箇所位突き刺し、よつてその場で間もなく同女を左鎖骨下動脈損傷による失血のため死亡させたものであるが、被告人は右犯行当時心神耗弱の状態にあつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の行為は刑法一九九条にあたる(有期懲役刑を選択)。心神耗弱の状態における行為であるから、同法三九条二項、六八条三号により減軽し、少年法五二条一項により不定期刑の言渡をする。刑法二一条(主文2)。同法一九条一項二号、二項(主文3)。刑訴一八一条一項但書(訴訟費用は負担させない)。
(量刑の事情について)
被告人は、被害者町田良子と李義根との関係を知りつつ、李と情交関係を結んで自ら三角関係に陥り、良子から李を奪つたことになるのに、一途に良子を憎み、同女のちよつとした言辞に逆上して、一方的に相手を攻撃し、その身体におびただしい刺創を与えて、一つの若い生命を失わせたものであつて、その責任はまことに重大であるといわねばならない。
しかし、翻つて被告人が本件犯行に至つた諸要因を仔細に吟味すると、被告人は犯行時一八才に満たない少年であつたというばかりでなく、生来的な素質に加えて、幼少時からの家族関係を中心とした複雑な人間関係の障害や不適切な生育環境によつて、幼児的ともいえるほど情動の発育が未熟、未分化で、短絡的行動に出易い異常な性格をもつていたところ、上京後の男性との異常な同棲生活や、このような少年には到底許されるべきではないトルコ風呂での稼働(被告人は特殊なサービスにより普通の職業からは想像できないほどの多額の収入をえ、結局これを浪費していた)などにより、その性格、精神状態が異常にゆがんでいたことは明らかであり、そのために、李や良子との極度の不安定で緊張した三角関係の継続の中で醸成されていつた良子に対する憎悪の感情が、通常ならばこのような行動を招くとは思われないような同女のささやかな言辞をきつかけとして爆発し、衝動的に本件犯行を犯したものであつて、習慣化しているとはいえ、犯行前日から犯行直前にかけて多量のハイミナールを服用している事実と、脳波の異常傾向から発作性の素因の疑いもあることなどを考慮すると、被告人は、犯行時に心神喪失の状態にあつたものとは認められないけれども、是非を弁別する能力およびその弁別に従つて行動する能力、特にその後者が著しく減退していたものであることを認めなければならないのである。そして、良子の立場からすれば、一応李を被告人に譲つた形になつており、さしあたり生活費の一部を李から受けていたとしても無理からぬものといえるけれども、被告人の立場からすれば、別れるといつておきながら陰で李との関係を継続し、自分が体を張つて稼いだ金を李を通じて平然と受けとつているとみえる良子の態度が、被告人をいいように利用し、馬鹿にしたものとしか思えなかつたとしても、そのかぎりでは、また無理からぬところであつた。また、被告人には、これまでの養育にこそ失敗したけれども、充分の愛情をもつて今回の行為を嘆き、その将来のために心を砕いている母親があり、同人は被害者の母親に可能な限りの謝罪と慰藉の途を講じ(たびたび被害者の母親を訪れ、すでに見舞金などとして一〇万円余を差しだし、さらに今後のお線香代の交付をも約している)、被害者の母親の感情も現在ではかなり静まつていると思われる。そこで、これらの諸点その他の情状を充分に考慮したうえ(犯行の性質その他の諸情状から刑の執行猶予ないし家庭裁判所への移送は到底できないけれども)、被告人の社会復帰を将来に期待しつつ、主文の刑を量定したのである。
(裁判官 戸田弘 北沢和範 永山忠彦)